貴方は、外国語が話せますか?この問いにYESと答えられる人は、今でも相当少ないでしょうね。
20年前、10年前、そして今、より英語を話せる人は多くはなっているでしょうが、私が当初想定していたほどには英語話者が伸びている印象はありません。実際は、特定企業の英語公用化や特定学校での英語特化など増えていることとは思いますが。
そしてそれは私自身にも当てはまります。この長い間何をやってきたのか…。そう振り返ることもしばしばあります。特に私の場合はこの10年間日本でのサラリーマン生活を捨てて、海外での事業に挑戦したり、それを諦めて日本で外資系会社に再就職したり、これまた外資系へ転職したり、英語は切り離せないような環境に常にいるのですが、自信を持って答えられません。
モチベーションの浮き沈みが激しく、いままでなんとなく対応してきたのでずるずるいく場面と、このままではまずいと一念発起して短期的には集中する。そんな状況を繰り返しています。
しかし、なんとなく対応できていたのも年齢的にもそろそろ難しくなり、そろそろ終始符を打たなければなりません。
毎回のモチベーションがアップするのは、語学取得に関する書籍を読んだ後と定石があります。今回も、同様にこの本を手に取りやる気が出てきたというわけです。
本で主張されていること;世界一シンプルな外国語勉強法
中身はそれほど突飛なことが書いているわけではありません。
- ネイティブとの会話が最良だ
- 今ならオンライン英会話が安くておすすめだ
- 自分の利用ケースを想定して文を覚えていくのだ
といった内容は、今までも多くの書籍で目にしてきており、基本的にはそのメソッドの理解は頭の中で反芻できるほどです。
自分の利用ケースから外れるものは「追加しない」
ひとつ面白いのは、徹底的に自身の利用ケース以外の言葉や言い回しは「追加しない」というスタンス。自分が使う頻度が少ない想定の単語や文を省略することは確かに圧倒的に効率的で、今言える自分の語彙でなんとか工夫することが身につきそうです。りんごやバナナでさえ、普段の会話で使うことはほとんどありませんからね。ましてや、動物・植物の単語になれば尚更です。
この本を読んで、私の勉強法にはこの「追加しない」という観点がごっそり抜け落ちていました。英語の求めるべきゴールがかなり高く、ネイティブが使うような言い回しを求めて時間を浪費していたような気がします。
実は私は英語のみならず、様々な言語に興味があります。しかし、英語に割く時間もあまりなく習得スピードも遅かったので他の言語になかなか移行できないジレンマも抱えていたのです。これを参考に英語への向き合い方を改めることにしました。
とにかく、意思疎通が自信を持って行えること。それが一番大事です。
英語を今更勉強する必要があるかという賛否両論
英語を勉強することについても当然ながら賛否両論あります。昔であればメリットが相当ありましたが、翻訳機能が進む現代では近い将来、自身が語学をマスターせずとも翻訳でコミュニケーションが取れてしまうことになります。
大抵は肯定派である人間が多いのは言うまでもないでしょう。ただ、そこから動ける人、動いて成功するもの、動きつつなかなか進歩がない人、動いたが諦めた人。後ろに行くにつれて人数は多くなるでしょうね。
否定派のうち、もっとも建設的でポジティブなものは、語学はあくまでコミュケーションツールであり、それだけで高収入などのメリットを享受することは近い将来終焉を迎える。さらに食っていくことも困難になるであろうという前提のもと語学に時間を費やすより自分が生き抜いていくその他のスキル獲得に時間を当てるべきだという考えです。
なるほど、その意見は確かに的を射ています。
このポイントは英語を単なるツールとみるか、より意思疎通を育むコミュニケーションの手段と捉えているかで大きく変わりますね。
ただ私は、近い将来翻訳機能が高まり不便なく会話ができるようになったとしても外国語習得はやめないと思います。共通の言葉で話すことは、文化や歴史を踏まえたそれ以上の知識・経験を与えてくれ、それを元にしたコミュニケーションは必ずより深く意義のあるものになると考えているからです。本来流暢にコミュニケーションが取れる日本語ですら、我々はコミュニケーションの悪い人・うまい人とその差は大きく露見し伝言ゲームが難しいとされているのに、仲介が否応にして入る翻訳の限界はやはりあるのではないかと考えます。
結局のところ、英語の勉強は必要です。
ただ、勉強といっていいのかはわからず、そのアプローチの仕方は工夫が必要ということですね。
工夫の方法は、自分に合ったものがわからない場合は、成功した誰かの手法を妄信すればよいでしょう。いい悪いはそれからです。